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あるハイドン・ファンの独白 vol.9 2004/5/31
  第9回演奏会によせて

  オーケストラ・リベラ・クラシカ第9回演奏会のプログラミングは、とても華やか に映る。高名な人気曲であって、しかもハイドンの全交響曲中でも唯一視覚的な演出 に期待が寄せられるユニークな「告別」交響曲がついに登場するのがその最大の理由 だ。しかしそれだけではない。いつものことながら、オーケストラ・リベラ・クラシ カのプログラミングには全体の流れに対する配慮が行き届いており、それがここでも 最上の効果をもたらしているのだ。

  「セレナータ・ノットゥルナ」は、モーツァルトのオーケストラ作品の中でもきわ だってチャーミングな作品の一つで、この作曲家独特の明朗さと開放感を溢れんばか りに湛え、独奏楽器群とオーケストラの対比が視覚的にも聴覚的にも効果を上げてい る。この作品が「告別」交響曲の前に置かれると、両者の対比的な性格が互いを引き 立て、二人の作曲家の美質がえもいわれぬ調和をもって浮かび上がってくるようだ。 もともとハイドンとモーツァルトというのは水と油のように異質な傾向をもった作曲 家と思われるが、この2曲の流れはとても美しい。

  そして最初に演奏されるハイドンの交響曲第59番「火事」。これは最後の「告別」 交響曲に対置されるべきだろう。前者はイ長調、後者は変へ短調と、いずれもシャープ 記号が3つついた調性を主調とするため、響きそのものが共通の基盤を持っている。 この2曲をプログラムの両端に据えることによって、演奏会冒頭の、くすんだ温もり の感じられるイ長調の響きが聴き手の耳に残り、明るく対照的なニ長調の「セレナータ・ ノットゥルナ」を挟んで「告別」交響曲に移行したとき、プログラム全体のブリッジ状 の構成が明らかになってくる。そして、「告別」交響曲が最後に劇的な無言劇を伴った イ長調のエンディングへと収斂していくとき、聴き手はこの調性がこの日の演奏会の基 調となっていることに気づき、満ち足りた思いで全曲を聴き終えることができるという 仕組みだ。「疾風怒涛」の作品で演奏会を終えると、聴き手は往々にしてどこか不安定 な気分のままに会場をあとにすることになるのだが、このプログラミングなら、むしろ 余韻の美しさを慈しむことさえできるだろう。(ちなみに、この「火事」交響曲の第2 楽章には、「告別」交響曲のエンディングを予告する旋律が隠されている。このプログ ラミングならではの、なんと気のきいた隠し味だろう!)


  この日の最後に演奏される「告別」交響曲は、なんといってもその終楽章で展開され る無言劇が特徴的だが、これについては、1772年の上演後間もなく広く知られるこ ととなった。(この逸話をご存知ない方は、何よりこの日の演出をお楽しみいただきた いので、ここから先は公演後にお読み下さい。)

  しかし私たちに残されたハイドン自身によるこの無言劇についての情報はごく限られ たものだ。すなわち最後のアダージョに入ったのち、第2ホルンと第1オーボエの最後 (第181小節)に見られる「もはやない nichts mehr」という書き込みのみである。 ただし、最初期の筆写楽譜にはすでに「退出しなさい geht ab」との書き込みがあり、 また他の筆写楽譜には「退出しなさい。そして火を消す。」との指示があって、楽員が 楽譜を照らすろうそくの火を消して退場するという習慣が伝播していたことを窺わせる。

  しかし元来この無言劇とはどのようなものであったのだろうか。上演後四半世紀以上 を経てから作曲者のもとを幾度か訪れ、その回想を伝記として著したグリージンガーは、 次のように説明している。

  「エスターハージィ侯爵家の楽団には壮健な若い妻帯者がいて、夏に公爵がエスター ハージィィ宮殿(訳注:通常は「エステルハーザ」)に滞在するときには彼らは妻をア イゼンシュタットに残してこなければならなかった。あるとき、例年と違って公爵がエ ステルハーザでの逗留を数週間ばかり延長したことがあった。愛情溢れる夫たちはこの 知らせにたいそう狼狽し、ハイドンの許へいって相談をした。

  ハイドンに(『告別』交響曲というタイトルで知られる)ある交響曲を書く霊感がわ いた。楽器が次々と沈黙していくのである。この交響曲は公爵の御前で演奏された。音 楽家たち一人一人に対しては、自分のパートが終わったらすぐに蝋燭を吹き消して、楽 譜をたたみ、楽器を脇に抱えて退場するようにとの指示があった。公爵や臨席者はこの 無言劇の意味を直ちに解し、後日、エステルハーザを出発するという指令がおりた。

  (中略)この曲のもうひとつの誕生エピソードとして、ハイドンはこうすることによっ て楽団を解散しようとした公爵を思いとどまらせ、大勢の収入を再度確保したという説 もあって、なるほどこちらのほうが文学的で美しいのだが、歴史としては正しくないと のことである。」

  当時の記録文書には、ハイドンなどごく限られた数名を除いて音楽家たちは妻子たち をアイゼンシュタットに残してきたことが明示されており、この逸話を裏付けている。

  同様にハイドンとの面会を重ねて伝記を著したディースの場合、彼らしい脚色が姿を 見せている。すなわち彼によれば、ハイドンは「当時は私も若くて元気に溢れ、決して 彼らより具合がいいわけではなかった」と述懐し、この演奏後、侯爵は立ち上がって、 「もし彼らが皆去るのなら、私たちも去らねばならない」と述べ、ハイドンには 「わかった、ハイドン。男達には明日皆去ることを許そう」と伝えたというのだ。そし て速やかに、侯爵が出発できるように馬車の用意を命じたとある。

  しかしハイドンに一次師事したノイコムは、先のグリージンガーと矛盾する内容を伝 えている。「ハイドンが私に語ったところでは、侯爵は経済的な判断で無益な[!]楽団を 解雇する決心をしたが、ハイドンの気の利いた霊感によってこれを撤回した。(中略) ハイドンは新しい小交響曲で楽員が一人ずつ登場させたのである。」

  グリージンガーの伝記は全体として信頼性が高いとされるが、細部となるとどれが 正確なのか判然としなくなる。こうした伝記上の細かな食い違いを比較していくと、 作曲者の自筆譜や初期の筆写譜、印刷譜等から作成される「校訂楽譜(原典版)」が孕む 困難とどこか通じるものを感じてしまうが、いかがだろう。

(飯森豊水)

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