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あるハイドン・ファンの独白 vol.7 2003/9/22
  宗教的な厳粛さから劇場的な愉悦へ

  オーケストラ・リベラ・クラシカの第7回演奏会では、前回のオール・ ハイドン・プログラムから、ハイドンの交響曲―モーツァルトの協奏曲―ハイドンの 交響曲という、今年のプログラムの「原型」に戻る。このうちモーツァルトのファ ゴット協奏曲は、彼が管楽器のために書いた最初の協奏曲であって、生演奏はもち ろん、CDでもあまり聴く機会のない珍しい作品だ。そして、最後に演奏される交 響曲第55番もまた(この曲を楽しむ耳さえ持てば、気の利いた愛すべき作品ではあ るのだけれど)コンサートでは演奏される機会の少ないタイプの曲に属する。

  3曲を組み合わせた結果、そこにはプログラムのサンドウィッチ構造 に加え、その背後に隠されているもうひとつの構造が姿をあらわしてくる。それは 宗教的な厳粛さから劇場的な愉悦、あるいは緊迫した内面性から開放的で外向的な 抒情や活気へと向かう流れだ。

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  はじめに演奏される交響曲第26番(1768年頃?)には「ラメンタツィ オーネ」という不思議なニックネームが付けられている。ラメンタツィオーネとい うのは、キリスト教の世界で一年の限られた時期にだけ演奏される音楽である。 すなわち「復活祭」に先立つ「聖週間」、すなわちキリストの受難に思いを馳せて その苦難を想起する特別の1週間のうち、特に「聖なる三日間」と呼ばれる聖木曜 日、聖金曜日、聖土曜日の早朝に朗唱される祈りのことである。

  この交響曲の第1楽章と第2楽章には、楽譜に中世以来歌い継がれてき たラメンタツィオーネの音楽(グレゴリオ聖歌)がほぼ原型どおりに引用されてい る。こんにちに伝えられている最古の筆写楽譜では、それらの祈りの音楽が引用さ れる場面で、第2ヴァイオリンのパート譜に具体的に「福音史家」、「キリスト」な どどその旋律に関わる人物の名が記されている。当時の人たちは、この音楽を聴い ただけで、その旋律から福音史家やキリスト、あるいは群衆の言葉を思い浮かべた ことだろう。このように、このふたつの楽章については、実際のキリスト教の儀式 (典礼)との関連が明らかで、あるいは典礼での演奏を目的として作曲したのでは ないかと推測する研究者もいる。

  この交響曲ではオーボエに重要な役割があたえられていて、とりわけ 冒頭に「コラール」と記された第2楽章では、オーボエ独奏とヴァイオリンが静や かに祈りの音楽を奏でてゆく。このオーボエのダブル・リードの響きを引き継ぐの が、演奏会の2曲目を飾るモーツァルトのファゴット協奏曲だ。

  ソリストをつとめるのは、堂阪清高さん。わが国のバロック・ファゴ ットの代表的な演奏家であり、このオーケストラ・リベラ・クラシカにもすでに登 場していて他のメンバーと息のあった演奏を聴かせている。モーツァルトの管楽器 のための協奏曲としては、オーケストラ・リベラ・クラシカ第5回演奏会のときの、 菅きよみさん独奏によるフルート協奏曲第2番以来のことになるが、ファゴット協 奏曲のほうは前述のように演奏される機会も少なく、演奏ともども新鮮な印象を残 してくれることだろう。

  この協奏曲では、第1楽章ではファゴットとオーケストラが縦糸と横 糸になって緊密な響きを織り上げてゆくが、第2楽章ではファゴットの独奏を前面 におしだして、オペラ的ともいえるような陶酔的な抒情を繰り広げる。そして終 楽章は軽快で陽気で、この楽章が終わる頃には、「ラメンタツィオーネ」交響曲 の緊迫感はすっかり意識の背後に押しやられていることだろう。

  しかし3曲目、交響曲第55番「学校の先生」の趣は、聴き手にこの2曲 の記憶が残っていてこそ「生きて」くるのではないか。

  1774年に成立したこの交響曲には、第26番の創られた「疾風怒涛」期 (1760年代後半から1772年)特有の晦渋な長調の響きはない。むしろ、時にハイド ンの次の時代として区分されるその後の10年間に典型的なそれが聞こえてくる。こ の時期、楽長ハイドンはニコラウス・エスタハージィ侯爵の命でエステルハーザ宮 でのオペラや劇音楽の創作や演奏に多忙で、生み出される音楽もまたそうした背景 を強く感得させるものとなっていた。この時期の開放的で寛いだ雰囲気、開放的で 心地よい旋律は、おそらくこうした劇場向きの音楽に深く関わるもので、それは交 響曲第55番にも認めることができるだろう。

  この交響曲を聴いて、皮相であるとか弛緩していると思うなら、それ はベートーヴェン以降の作曲家たちのように交響曲を人生観・世界観の表出の媒体 として捉える立場に立つためであろう。ハイドンの職人的な構築性はここでもバラ ンスを失っていないし、少なくともこの作品の向けられた人たちにとっては劇場音 楽的な愉悦に浸ることのできる第一級の音楽であったはずだ。またハイドンに格別 の関心をよせる私たちにとっては、後年の「ロンドン」交響曲集にある洗練された 大衆性の源泉としてその意義を認めることができるだろうし、あるいは第6回演奏 会のメインとなった第46番ロ長調からわずか2年でこのような変化を遂げたことに 深い感慨を抱くことだろう。しかし、この一夜を過ごしてこられた聴き手なら、 「ロンドン」交響曲集よりもさらに開放的で上機嫌な愉悦に、貴重な楽しみを見 いだされるのではないだろうか。

(飯森豊水)

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