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あるハイドン・ファンの独白 vol.4 2003/1/6
原典版とか、オリジナル楽器とか。

  原典版の重要性が唱えられるようになって久しい。原典版というのは、 作曲者自身の書き残した楽譜(自筆楽譜)や、他人の手で書き写した楽譜(筆写楽譜)、 印刷された楽譜(印刷楽譜)などを比較検討して、作曲者の意図を可能な限り忠実に 再現することを目的として作成された版のことである。

  ブルックナーの交響曲を愛好する方なら、楽譜の版の違いが作品の構造 そのものを変えてしまうほどに重要な問題であることはご存じだろう。またこれほど 極端ではないとしても、例えばスラーの位置が音符一個分ずれているだけでも、演奏 家にとっては解釈上重大な違いを生むこともあるので、原典版楽譜はやはり重要な意 味を持つ。

  それでは、すでに販売されている原典版楽譜を使えばそれで問題が解 決するかというとそうでもない。同一作品に対して複数の原典版楽譜が存在し、一方 の校訂者が他の校訂楽譜を批判するということもあるし、曲によっては複数の自筆 楽譜が残存していてその内容に矛盾があり、原典版の概念そのものが問題となること もある。また原典版楽譜が作成されたのちに重要な楽譜史料が発見されるなどという こともある。   しかしここでは校訂楽譜作成の議論には深入りせず、演奏者から見た 問題を扱おう。かつてある著名なピアニストが、バッハや古典派の作品における原典 版楽譜の扱いの難しさを次のように述べていた。「近年では誰もが原典版を推奨し、 それ以前の版の楽譜を否定する傾向がある。彼らはまるで原典版ひとつあれば全てが 解決するかのように議論を短絡させている。でも、今日の私たちにとっては原典版に は演奏上の指示があまりに少なく、そのままで演奏できるものではない。」

  これは、楽譜の重要性を知るプロフェッショナルな音楽家ならではの 見解だと思う。ハイドンを例にとれば、作曲するときは(資料で確認できる限り) 必ず演奏者を思い描き、その人にふさわしいスタイルで書いた。仮にピアノ (クラヴィーア)のためのソナタを例にとるなら、変ホ長調 Hob.XVI:49と、ハ長調 Hob.XVI:50および変ホ長調 Hob.XVI:52という2曲の間には明確なスタイル状の相違 が存在する。つまり、第49番がアマチュア音楽家のゲンツィンガー夫人と彼女の 使用する、軽いウィーン式アクションをもったフォルテピアノを想定しており、 他方、50番と52番がロンドンで活躍する職業演奏家テレーゼ・ジャンセン嬢および 彼女の厚い響きをもったイギリス式アクションによるブロードウッド社製の楽器 という相違を反映しているのである。

  またハイドンは1768年、彼の「アプラウスス」という宗教的作品に 関して未知なる演奏家に演奏上の注意を書き送っている。これは彼の演奏習慣を 探る貴重な文献となっているが、その神経質ともいえる指示の細やかさは、未知の 奏者に対する不安の裏返しととることもできる。このように、特定の音楽環境や 趣味を想定した上で作成した楽譜が「原典版」であるわけだから、これを音楽趣味を まったく異とする21世紀の解釈者が万能薬のように信奉するのはいささか楽天的 ということにはならないか。

  もうひとつ、歴史的演奏法という問題がある。これは作曲者が想定 したタイプの楽器(オリジナル楽器)を使用し、当時共有された美学や演奏習慣に 基づいて演奏する方法を指している。かつて、オリジナル楽器による演奏が 珍しかった頃、たとえ作品解釈に難があったり演奏技術にほころびがあっても、 使用楽器のために従来の解釈よりも尊重される風潮が生まれ、議論となったことが あった。逆にオリジナル楽器の登場以来、19世紀的な趣味を残した演奏は、 それだけで様式的な誤りとして存在意義そのものが否定される風潮が続いている。 (個人的な見解を述べさせていただくなら、演奏解釈の歴史的正統性と音楽的 説得力の有無は別問題であるべきで、今後、歴史的奏法のスタイルの多様化とともに、 歴史的正統性をめぐる議論は活発化することになるだろう。)

  原典版楽譜や歴史的演奏法を無批判に信奉することの問題について、 ここまで述べさせていただいた。こうして鈴木秀美指揮オーケストラ・リベラ・ クラシカの方向性と一見矛盾する議論をした上で改めて確認させていただきたいのが 以下の点だ。

  すなわち、原典版楽譜は、作曲者が想定した特定の演奏家の演奏 スタイルを理解できる人たちにとっては、現代においてもっとも信頼される楽譜で あるはずだし、歴史的奏法は、それを専門的に探求し、かつ高い音楽能力を備えた 演奏家にとっては非常に強力な武器になるということだ。

  ハイドンの交響曲演奏についていえば、演奏時にチェンバロなどの 鍵盤楽器を通奏低音楽器として用いるべきか否か、ただ「バッソ」とのみ指定 されている低音声部にはどの楽器を使用するべきかという問題がある。また今回の 交響曲第13番のようにハイドンの残した自筆楽譜にはティンパニ・パートが 記されているものの、その筆跡はハイドンのものではなく、また作曲時よりのちの 記載であるという場合、ハイドンの意図をどのように解釈すべきか、といった問題は、 極めて専門的な判断を必要とすることとなる。こうした、音楽史学的な問題に ついては、あまり専門的にならない範囲でこの欄で紹介させていただこうと思う。

(飯森豊水)

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