オーケストラ・リベラ・クラシカ 第11回演奏会に寄せて
今回は個人的なことなどから。
オーケストラ・リベラ・クラシカの第11回演奏会のプログラムが、ハイドンと
ボッケリーニだと知って、この欄ではいつもよりよほど柔らかな心で書かなくて
はと思った。ハイドンの音楽もそうだし、ボッケリーニの音楽もそうなのだけれ
ど、このふたりだけの音楽を組み合わせたプログラムとなると、相当に聴き手を
選んでしまう。よほど「ハイドン」と「ボッケリーニ」という名前に敏感に反応
する聴き手でなければ、ただの地味なプログラムと片づけられてしまうだろう。
人には音楽を聴いていて「ああ、この音楽がわかった」と思う瞬間があるので
はないか。それはその聴き手にとって特別の作品あるいは演奏家を通して、啓示
のようなものを通して、その音楽の核にあるものを直視し、その作曲者と神秘的
な人間的交流までをなしえたと思えるときだ。
きっとオーケストラ・リベラ・クラシカを聴かれるような方なら、ハイドンに
もボッケリーニにもそうした経験をお持ちの方は多いだろう。だけれど、「これ
らの作曲家にはまだもうひとつピンと来ない」という方のために、私の個人的な
経験などを書かせていただきたい。
私の場合、ハイドンやボッケリーニについて、こうした啓示を感じたのは、音
楽を聴き始めてずっと時間が経ってからのことだった。ハイドンは1970年代、年
齢でいえば20歳を過ぎての頃だった。大学で、この作曲家を取り上げた厳格で鋭
敏な授業を毎週聴くうちに、徐々に創作の背後にあるものへの視界が開け、聴く
ための耳ができあがっていった。当時はドラティによる、今から思えば必ずしも
満足できるものばかりではない演奏に接しながらも、その音楽の核にあるものを
見つめるための姿勢は整えられていったのだと思う。幸い、その後も、ヨッフム、
ピノック、ロペス=コボスなどの演奏を通して、そしていまでは鈴木秀美=オー
ケストラ・リベラ・クラシカの演奏を通して、授業で培った感性的な理解はより
幅を広げ、深みを増しているように思う。
それに対し、ボッケリーニの場合、私の「開眼」は遅かった。ハイドンの時の
ように、この作曲家を熱く語る人に出会うことはなく、レコードで聴く限りは有
名なメヌエットにも、チェロ協奏曲変ロ長調G.482にも私の感性は反応しなかった。
ようやく1997年だったか、アンナー・ビルスマの率いるラルキブデッリの東京公
演で弦楽三重奏曲に触れて、その素晴らしさに興奮した。繊細で詩的で、壊れそ
うなほどに脆く、時代錯誤してしまいそうなほどに貴族的で洗練された感覚に包
まれたこの作曲家を初めて聴いた気がした。ただ、その演奏には、イタリア的な
人懐っこさではなく自己を抑制する禁欲と作曲者の感性を普遍化する逞しさも感
じられた。こういう音楽をこんにち聴くことができるのは奇跡で、ボッケリーニ
でこうした興奮を味わうことは、自分の生涯でも二度三度とあるものではないと
予感したものだ。
その後もボッケリーニについてはディスクでも優れた演奏に触れることはあっ
た。しかしやはり生の演奏でなければ。強烈な個性をもった音楽は、あるいはCD
でも楽しめるかも知れないが、ボッケリーニのような、か細く移ろいやすい感性
は…。
冒頭で私は、不遜にも、ハイドンとボッケリーニの演奏会は「相当に聴き手を
選んでしまう」と書いた。おそらくこれがショパンやバッハ、モンテヴェルディ
やラヴェルであれば、こう書く必要はなかったし、私的な体験を披露する必要も
なかっただろう。
ただ、率直にいわせていただくと、この演奏会が鈴木秀美=オーケストラ・リ
ベラ・クラシカの演奏会でなかったとしたら、上のようなことは書けなかった。
演奏を聴いて「やはりハイドンはつまらない」「ボッケリーニは地味だ」で終わ
りかねないからだ。これまでの10回の演奏会を通して、ハイドン交響曲の演奏団
体として確固とした地位を築いている彼らだからこそ、ハイドンのわかりにくさ
を率直に述べられるし、ビルスマの薫陶を受け、「ボッケリーニ四重奏団」「ミ
ト・デラルコ」などでボッケリーニの佳演を聴かせてくれた鈴木秀美さんの演奏
会だからこそ、ボッケリーニの危うさを正直に書くことができる。
○ ○ ○
ハイドン:交響曲第22番変ホ長調「哲学者」Hob.I-22は、ハイドンがエスター
ハージィ侯爵家の副楽長に就任して4年目にあたる1764年の作。緩―急―メヌエッ
ト―急というバロック時代の教会ソナタに倣った楽章構成によっているが、ハイ
ドンはこの楽章構成を、1768年まで交響曲に適用していた。メヌエット楽章のト
リオも含め全楽章が主調で統一されている。楽器編成では通常のオーボエではな
くコール・アングレ2本というのが特異で、当時の出版譜や筆写譜ではオーボエ
あるいはフルートと指示されることも多かった。「哲学者」の愛称は、モデナの
エステ公爵家図書館のリストによればすでにハイドンの生前から知られていたが、
その由来は明らかではない。
ボッケリーニ:チェロ協奏曲ト長調G.480。スペック(2001)によれば、ボッケ
リーニには11曲のチェロ協奏曲がある。かつてハイドンのニ長調Hob.VIIb-2とと
もに古典派を代表するチェロ協奏曲とされたのは変ロ長調G.482であったが、人口
に膾炙したのは19世紀ドイツのチェロ奏者F.グリュツマハーによる改変版であっ
た。その第2楽章は、元来はG.480の第2楽章に基づくもの。つまり今回私たちは、
G.482の第2楽章の「原曲」を聴くことになる。G.480はチェロ協奏曲G477、G479と
ともに1770年にパリで出版されており、いずれも弦楽器のみによる伴奏がつけら
れている。バロック的な痕跡が色濃く残っているが、チェロの名手の作品らしく、
高度な技巧(ハイ・ポジションでの急速なパッセージ、弦をまたいでの素早い運
弓など)を駆使している。
ハイドン:交響曲第64番イ長調「時の移ろい」Hob.I-64。1773年(あるいは78年)
の作品。ハイドンの交響曲のニックネームは、大半が作曲者とは無関係に後世に
つけられたものだが、この作品の奇妙なニックネームは、作曲者自身によるもの
かも知れない。これはウェールズの警句家ジョン・オーウェン(1565頃-1622)の
「おお、時代よO Tempora」に由来しているという。
Tempora mutantur nos et mutamur in illis: quomodo?
fit semper tempore peior homo.
時代は変った。そして時代の中で変わったのは私たち。ではどのように?
時代が悪くなれば人も悪くなる、私たちが知っているとおり。
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17世紀から18世紀のヨーロッパの教養人、とりわけドイツ文学にオーウェンの警句
は小さからぬ影響があった。特にこの警句の1行目は掛時計や日時計に刻まれるほ
どに広く知られたという。この交響曲の当時としては珍しいラルゴという遅い表
示をしている第2楽章がこの警句を反映しているとするのが一般的な解釈ではある
が、確証はない。終楽章はABACAのロンドだが、その構成の特異さは大いに議論さ
れていて、劇場音楽との関わりを指摘されることもある。
(飯森豊水)
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