OLCホーム
コンサート情報 ディスコグラフィー プロフィール りべら倶楽部 リンク集 鈴木秀美ホームページ
あるハイドン・ファンの独白 vol.10 2004/10/1
  劇場的音楽の聴き比べ

  オーケストラ・リベラ・クラシカ、第10回演奏会のききどころといえば、 モーツァルトとハイドンという古典派ふたりの巨匠による劇場的音楽の聴き比べとい うことになるのではないか。それはもちろん、2曲目のモーツァルトによる演奏会用 アリアと3曲目のハイドンによる交響曲第60番のことだ。

  それに先立って演奏されるハイドンの交響曲第21番は、さしずめ聴き比 べの幕開け音楽だ。緩徐―急速―緩徐―急速という楽章構成や対位法の多用は、バ ロック的・教会的な厳粛さを思わせるが、終楽章になって陽気なハイドンの顔が戻って くると、あちこちに散りばめた意外性で聴き手の顔をほころばせ、愉悦のうちに聴き 手を解放してくれる。

  さて、聴き比べに入ると、先に登場するのはモーツァルトの演奏会用 アリアである。音楽学者アインシュタインが「モーツァルトがこれ以上に野心的で、 これ以上に強く劇的な感情を含むアリアを書いたことはほとんどない」と賞賛した 名作だ。

  ちなみに「演奏会用アリアconcert aria(英)、Konzertarie(独)」と いう呼称は後世の造語だが、(劇場で上演される)オペラの一部としてではなく、 演奏会用に作曲されたアリアを指す。作曲するときに作曲家は特定の歌手を念頭に おくことから、その歌手の個性や能力、さらには得意とする技巧が存分に発揮でき るのが常だ。モーツァルト自身、このK.272の半年後に書いた演奏会用アリアK.295 についてこう述べた。「ちょうど仕立てのよい服のように、このアリアが寸分の狂 いもなく歌手に似合っているのが好きなのです。(滞在先のマンハイムから父へ、 1778年2月28日)」

  K.272の場合、作曲者が念頭においたのは、プラハ生まれで当時の代表 的なソプラノ歌手にして、著名な作曲家の妻でもあったヨーゼファ・ドゥーシェクだ。 彼女の歌唱について、当時のシーデンホーフェンという人物は日記で次のように伝え ている。「声は並はずれて明るく心地よく、心からわき出る喜びgustoがあり、きわ めて丁寧に歌っていた…」。劇的構成力に長けたヨーゼファの歌唱に思いを馳せる ことができる作品である。

  作品の内容は次の通り。アルゴス王の娘アンドロメダは、恋人ペルセ ウスが茫然自失して刀を手に庭を彷徨っていたことを父から告げられる。彼女はペ ルセウスが自刃はかったものと考え、父が彼を止めなかったことに怒る。しかし2度 目のレチタティーヴォからカヴァティーナに移行すると彼女の感情は次第に諦めへ と変化し、ペルセウスと共に死を迎えることを期待するようになる。

  片やハイドンの劇場的音楽は、演劇への付随音楽から再構成されたもの だ。彼が仕えたニコラウス・エスターハージィ侯爵は1772年から1777年にかけて、 夏の離宮エステルハーザに人気劇団カール・ヴァール一座を招聘していた。喜劇や 娯楽的な催しを主として、時にはシェイクスピアのような真面目な悲劇も上演する 劇団だ。こうした演劇の上演には楽長ハイドンが付随音楽を作曲することがしばし ばあったらしい。フランスの喜劇作家ルニャールの原作になる人気作品「うかつ者」 が上演されたときもハイドンは付随音楽を書いた。当時のプレスブルク(現在のブ ラティスラバ)新聞の特派員は、その音楽に対し、「識者たちが名作だと考え」、 「巨匠的な表現の多彩さが専門家の驚嘆をいやが上にも高め、かといって一般聴衆 への愉しみにも欠けることがない」と伝え、「ハイドンとルニャールは気紛れなう かつさを表現すべく競いあった」と賞賛している。

  6つの楽章からなる交響曲第60番は、この付随音楽の序曲、4つの間奏 曲、フィナーレを転用したものだ。だから交響曲でありながら劇場的な雰囲気に満 たされていて、例えば終楽章では、演奏が始まってから「うかつ」にもヴァイオリ ンがチューニングを開始して、主人公レアンダーのうかつさを皮肉っている。

(飯森豊水)

第10回公演のご案内に戻る
(C) 2003 , Orchestra Libera Classica , All rights reserved. Since 19 February 2002.