新嘉坡報告(その1)
2007/09/02

  皆様、暑いあつい夏はようやく過ぎ去ったようですが、溶けずにお過ごしでしたでしょうか?
  このタイトル、すぐお読みになれました?そう、これは『シンガポール・レポート』と読みます。

  この夏はここ数年の中で最も忙しかったかと思うほど働かされてしまいました。7月にあったミト・デラルコの後数日は休めましたが、まずはバッハ・コレギウム・ジャパンのヨーロッパ・ツァーでドイツのSchwäbisch Gmund〜AnsbachからLondonへ。それぞれに良いところも悪いところもあったコンサートでしたが、最後のロンドン公演はRoyal Albert HallでのPROMSというシリーズ、6000人収容の楕円形ホールは「ここ、人間用?」と聞きたいぐらいで、そこでカンタータをやるというのもまあ、言ってみればバカバカしい話ですが、PROMSのウェブに誰かが書き込んでいた「彼らはホールを満たすのに苦労していた」という感想には大笑いしてしまいました。向こうは暑いと脅かされて行ったのに何のその、「ヨーロッパとしては暑い」という日があったのだろうという程度で、私達が行ったときには涼しいほどでした。

  あったか〜い日本に帰って家のベッドに寝ること二晩、洗濯物の乾くのを待ってシンガポールへ行ったのでしたが、それはコンサートではなく、コンクールの審査員として呼ばれていたのでした。しかしこれがもう、あまりのことに日記をつけようと思ったほど可笑しいことの連続でしたので、少しばかりご紹介しようと思います。

* * *

  Asian youth music competitionというそのコンクールは、中国本土、台湾、韓国、シンガポールが協力して行うもので、今年で6回目、今回は今までで最もマジメに準備したとのことでした。ひょんなことから知り合いになった台湾のヴァイオリンの先生が委員長を務め、中心になって人を集め、奥さん共々真に献身的に企画をして来られた由、まあ詳細は分からないものの行ってみようと思っていたのでした。なにせ、ロンドンから帰ってきたその日になっても、私はホテルの名前も知らなければ、何人参加者がいるのかも知らなかったのですから。

  ようやく秘書を電話でつかまえてホテルの名前は判りましたが、あとは何を言っているのかどうもよく解りません。楽しいほど中国語訛りの英語の上、本人も’sorry for my bad English’と言っているぐらいで…まあいいや、とにかく安いチケットはもう変更できないし、ホテルは判ったから行ってみよう、と思うことにしました。

  さて、出発した11日は、お盆前で出発客がピークの日、成田空港中が殺気立っている感じでした。ANAの予定だったのですが、彼らのオーバー・ブッキングで急遽JALへの変更を頼まれ、まあこちらは一人の仕事旅、同じぐらいの時間につくならそれでいいや、とOKし、第1ターミナルから第2へとバスに乗りました。

  飛行機の窓側の座席に座ると、お隣には一目で「(海外)旅行初めて!」という感じの初老の夫婦が来られました。しかしなぜか通路側、奥さんの席だけパーソナル・ビデオが働きません。それでスチュワーデスが私に、「すみませんがあちらの席に替わっていただいてもいいですか?」…もちろんNo problem、しかしよくいろいろ替わる日だなぁと思いつつ。すると今度は食事の前に、頼んだのとは違う飲み物がやってきて…。スチュワーデスとひとしきり笑って話ができました。


  さて、空港に着いたら誰がいるのか、何も知りません。フライトが変わり、しかも予定より早く着いてしまって、出てきた所には案じたとおり誰もいません。よくこれでコントロールを通してくれるものだなぁなどと思いつつ30分ばかりもウロウロしていましたら、’Mr. Suzuki’と書いた札を持ってにこやかに近づいてきた男性がおり、まあこれしかないだろうなぁと観念してついて行き、車に乗りました。これがスパイ映画なら、オレは今日どこかへ消えてしまうのだがなぁ、などと思いつつ。

  30分ぐらいも乗ったでしょうか。車窓に飛びすさぶ車は85%、いや90%近くが日本車、あと僅かにヨーロッパ車とヒュンダイなどです。日本はオソロシイ国だなぁ、この運転手は確かに私をホテルへ連れて行くのだろうか、などとふと思いましたが…。


  さて、着いてびっくり玉手箱、今日はずっとヒマだというのです。え? 今日の夕方ミーティングだかパーティだかがあるからこの日に来いと言ったのは誰でしたっけ? …そこへ秘書ではなく、やっとヴァイオリンの先生本人がやってきて、手短に説明してくれたところによると、スポンサーの意向で会場を使える時間がずっと減ってしまい、コンクールの仕事は結局1日だけだというのです。何とまぁ…とにかく立派なホテルの部屋で、PC相手に、ひたすら原稿書きに専念するしかない、ということになったのでした。


  いくら一人でも、晩飯までホテルにいるのはつまりません。ぶらっと出かけて街を歩き出しました。ホテルの周りの街路樹がさすがに南国らしく、見たこともない花や樹々の葉に目が惹かれます。

  このホテルは17年ほど前、18世紀オーケストラがオーストラリア・ツァーを行ったとき、往復の途中で一泊したのと同じ場所です。その時は、シャワーを浴びてすっきりし、さあご飯に出かけようと5分歩いたらもう、シャワーの下にいるのと同じほど汗でびっしょりでした。その中で、「屋台文化」とでもいうべき雑踏の中、ひしめく安物の椅子の一つに座って汗をかきつつ、美味いものを頬張るのはそれなりに楽しかったのですが、何と今年のシンガポールは、東京よりはるかに過ごしやすく、10分歩いても大して汗をかかないのです。世の中いったいどうなってしまったのでしょう。

  しばらく歩いて適当に座った店のおばさんは、何語も通じる可能性はないと思う感じでしたが、こちらの喋る英語は一応解ってくれ、ご飯の上にロースト・ダックと中華野菜の乗ったものを得ました。それより値段の高いビールと一緒で、850円ぐらいだったでしょうか。ふうむ…。


  翌日の昼は、ホテルからそう遠くないショッピング・センターに行きました。

  3層になっているかなり大きなものでしたが、やっぱり圧巻に面白いのは一番下、そこもまた、一種の「屋台文化」です。四角い床面積の外周と内周に小さな店が並び、好きなところで食べ物を買って、好きなところに座って食べるというスタイルです。香港、広東、北京、と中華だけでもいろいろあり、マレーシア、インドネシア、インド、「西洋風」、そして日本…肉・魚・野菜・辛いもの甘いもの、麺類飯類粥類…最初にぐるっと回って全部見て回っても、とれもこれもが美味しそう、面白そうでなかなか決められません。

  そんな中でようやく決心して一つを食べていると、ガヤガヤガヤっと団体がやってきました。あろうことかあるまいことか、こんなところへ日本人の団体客、ツァーガイド付き。「さぁ皆さん、ここが有名な○○ショッピング・モールの食べ物街でーす。」当たり前だよ、見りゃ判るだろ。食い物にガイドは要らねぇよ! 買い方なんて、前の人見てりゃいいんだよ。と毒づきたくなってしまいますが、そうすると自分の食欲が失われるので、なるべく見て見ぬふり。

  どうして日本人はああなんでしょう? ガイドに連れてきてもらって、子供みたいに説明してもらって、はいどうぞって感じで行列するのに、注文するときには、何語もまともにできないのにエラく居丈高、高飛車な人が多いのです。それももちろんやっぱり、中高年の男に。「ああ、オレ、チャーシューメン!!」って感じで。プリーズも言えなきゃサンキューも言えないのです。情けない。大体もとから、日本でもそんなこと言ったことないのですね、あれは。やっぱり人気ないね、この国は。何が美しい日本だよ…と、ご飯が不味くなってしまいます。

  イヤなところからはさっさと離れて外へ。この、異常なほど公衆道徳に厳しいシンガポールでは、歩きながらチューインガムを噛むだけで罰金、つばを吐くのもダメ、歩きたばこももちろん論外です。何かそういった類で「鞭打ちの刑」というのもあったと思います。まさか磔刑はなかろうな…しかし毎年、ヤクの不法所持で何人かが死刑になると聞きます。ヤクに関してはとにかく、言い訳・問答全て無用で死刑ですから、身に覚えのある方はとくとご用心あれ。しかしお陰で道は清潔、『人も歩けば(犬の)糞に当たる』とでもいいたくなるオランダより、よほど足下は安心です。


  ホテルで書いている原稿というのは他でもない、今までずっとやってきた《ガット・カフェ》の文章作り、本にして皆様のお手元に届けるための準備です。しかしこれ、あの大きな楽譜に殴り書きしながら喋っていたことを、楽譜や説明をPCで作りつつきちんと読める文章にしようとしているのでして、殆ど《カフェ独演会》をもう一度やっているようなものなのです。来年の秋には出せるようにしたいと思っているのですが、果たして間に合うかどうか…。大変なことになってしまったものです。


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