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気持ち悪い日本語 2007/12/11 |
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言語にもファッションがある。流行があって当然、わざわざ一つに絞って「大賞」などと決めなくてもよいし、そんな賞がその年の世相を本当に反映しているかどうか。本当の「はやり」は賞の対象などにはならず、ウィルスのように静かに蔓延していくものだ。 少し前なら「あいつは切れるオトコだ」というのはなかなかのほめ言葉だったが、今では単に「切れる」というだけで「意味が通じて」しまって、ビクっとするかもしれない。その昔「とても」は否定的な意味にしか用いられない言葉だったそうだが、「とても美しい」は当たり前になった。小学校の時、教科書には「全然」という言葉について、「全然〜ない」と、否定にのみ用いるという脚注が付いていたのを記憶しているが、これも日常では「全然平気」と肯定的に使われるようになって久しい(もちろん、誰より賢いMicrosoft Wordのチェック機能では『くだけた表現』として波線がつくが)。日本語は、アメーバのようにグネグネと形態を変えながら生き延びるようである。 日本語には「命令形」がなくなりつつあるということについて書いたことがある。今や、少なくとも東京の雑踏のように人が密集した異常社会では、人は相手の「逆ギレ」を恐れて、もし肩がぶつかっても足を踏まれても、おいそれと「痛いじゃないか」とか「止まれ」などとは言わない。あるアニメでは、悪役に向かって主人公が「止まりなさい」と言えば良い方、悪くすれば「止まって下さい」などと言う (それはおそらくある趣旨の下にそうしているのであろうし、乱暴な言葉を聞かせないという意味ならその考えにすっかり反対するものでもないが、何語でも『命令形』という形体は存在するのであり、その用法を子供に教えないことが正しいかどうか)。 渋滞が長く続けば多少なりともイライラするのは無理からぬことだが、道路工事の内容を「道を補強する工事をしています」とか「電話回線を増やす工事をしています」などと丁寧に書くことでそれが緩和されるだろうか。「電話工事中」「道路工事中」で十分ではなかろうか。あれはどういう『心理の読み』によるのだろう。 『〜になります』という言い方も、私はいつまで経っても普通には聞き流せない。レストランにいって「たぬきそばになります」と言われれば、へぇ、今までは狸だったの? などと聞きたくなるのが日本語としてタダシイ反応ではなかろうか? そんなことに慣れるのは「流行」という名のウィルスに頭脳が犯されていくことではないのか? 命令形は今横に置くとして、「なります」形は、何となくそのことに対する責任回避、自分のせいでそうなったのではない、という潜在意識がそうさせるのではないかといった学者がいた。なるほど、例えば店で食べ物を出す人は、温度や味などがこうであるのは私のせいではない、と言いたいかもしれない。しかし、何も起きる前からそこまで念入りに責任回避しておかなければならないのだろうか? おそらくそんな意識は若い人になく、そう言うことが一種の丁寧語のように思っている人さえいるのではなかろうか。 ところで、この頃至る所で耳につき、気になって仕方ないのが「そうかなと思います」「そういう風に思います」といった類の文末である。会話の端々、テレビなどで聞くちょっとしたインタビューから果ては国会中継に至るまで、相当の範囲に広がる傾向だ。 本来、「こうしなさい」ですむこと、例えば親や先生が子供に「5時になったら家に帰りなさい」でいいことを、もう少し促すように言おうとして「家に帰りましょう」となるのは理解できるが、この頃はそれが「帰ろうかな、と思います」「帰るといいのかな、と思います」、さらには「帰ってほしいかな、というふうに思います」などとなる (相手が多数の時に)。これは決して誇張ではなく、小学校の先生が日常使っている表現であり、テレビで毎日聞くことであり、はたまた国会の答弁や政治家のインタビューなどでさえ聞かれることである。 証拠を突きつけられて逃げ場がなくなるまで何かを隠そうとする政治家やどこかの企業のボスでなくても、言葉は曖昧にすればするほど表現に時間がかかる。それでなくても国会は壮大な時間の無駄遣いだ。同じ人に幾つかの質問をするのに、なぜ毎回席に帰らねばならず、毎回議長が「○○△×くん」と呼び上げなければならないのか。時間はお金、即ち税金である。その答弁の端々に「〜かなというふうに思います」などとやられるとさらに時間がかかるだけでなく、そもそも生真面目な言葉遣いに一カ所だけ口語的表現が入り込んで気色が悪い。 これもまた「なります」形に似た責任転嫁、何か起きたとき自分に矛先が向けられるのを避けたいという心理によるのだろうか。或いは、発言の最後に一瞬の親密感を見せて同意を得ようとするか、どこか曖昧にしておいた方がよいという保身の心理が働いているのであろうか。学者諸賢の分析・見解を聞きたいものであるが、それがインタビューなら「〜といった心理が働いているのではないのかな、というふうに思います」などというふうに言いそうなのが聞こえて来そうかな、と思うのではないかと….。 「ら抜き言葉」、「なります」形に次いでムズムズするこの傾向、いったいいつから増殖してきたのだろう!? この頃やけに多いように思うが、かく言う私も、また読まれているあなたも、ひょっとすると毎日どこかで使っているのではないのかな、というふうに思ったりすることはありませんか??? 鈴木秀美 |
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