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バレーボール観戦考 2007/12/01 |
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どうも美しくない、志が低い、そんな気がする。いや、バレーボールをテレビ観戦していたときの話である。 うちでバレーボールを楽しんでいるのは専ら妻と娘だが、旅先で一人、ぶらりと入った飲み屋のテレビでやっていたので、しばらく見ていた。スポーツは決して嫌いな方ではないが、あの歓声というか、応援の仕方をみていると白けてきて、いろいろ他のことを考えてしまう。 大体、いつからあんなにバレーボールは喧しくけばけばしいスポーツになったのか。どうもあの、巨大な猫じゃらしのような、細長い風船のようなものを打ち鳴らす、あれが使われるようになってから、騒音は一挙に増大したのではないか。バレーボール選手になろうと思ったら、よほど耳が悪くなければ耐えられないのではないか。しかし監督や同僚の指令は聞こえなければいけないのだろうが…監督もあの騒音の中では何を言っても大して聞こえまい。 しかし気に入らないのはやかましさだけではない。とにかくひたすら日本だけを応援することだ。とにかく勝てばいいという感じで、日本チームのよいプレーであっても相手のミスであっても同様に反応し、相手の素晴らしいプレーには拍手一つしない。点が入ればそれでいいのか。スポーツの精神に反するではないか。すっかり日本側に自分を置いて熱狂するのはどうも幼稚だ。まあそれが応援というものなのかもしれないし、こんなふうに言っているのは自分がとことん好きではないということかもしれないが、テニスでも卓球でも相撲でも、ファインプレーには等しく喝采するではないか。チームのプレーになると俄然「日本vs.敵国」のようになってしまうのは平穏ではない。 今はどうやら女子のチームの方に人気があるようだ。それはまあ、常人には想像もつかないプレーができる上に美しいなら言うことはない、と世のオトコなら思うだろう。しかしテレビで観ているからいいようなものの、彼女たちと道で出会ったら見上げる人たちばかりのはず、考えてみるとスポーツ選手というのはすごいものである。 そういえば一度、シドニーのホテルで、ちょうど行われていた選手権に集まったテニス選手達と一緒になり、エレベータでなんとイワン・レンドル選手と乗り合わせたことがあった。彼が特に大柄という記憶はなかったが、それでも十二分に大きく、贅肉をそぎ落としたような体つきと勝負師的な凄味がただ静かな中に秘められているようで、なかなか緊張感のある10数秒であった。朝食の席に来てみるとテニス選手が一杯いたのだが、彼らの大きいことには驚いた。テニスでもこんなに大きい人たちなのか…これがバレーボールやバスケットボールだったらもう、視界には足と腰ぐらいしか入らないかもしれない。 そんな中で、女子チームのキャプテンは私より小さい竹下というセッターである。居並ぶ巨大な同僚の中では子供のようにさえ見えるが、しかしその彼女がどんな体勢からでもすばらしいトスを上げ、こちらと思えばあちらというふうに、相手の虚をついてアタッカーへボールを送る様はなかなか感動的だ。バネでもついているのかと思うほどぽんぽんと跳ね上がり、素晴らしいアタックを打つ人たちの陰でそれを準備、まさにセットする人の存在は、何となくどこか通奏低音の仕事にも似ているような気がして共感を覚える。 セッターと言えば猫田、である。あれはメキシコ・オリンピックだったか、あの頃は男子バレーを随分夢中になって観ていた。きっと竹下選手も猫田のことをとことん研究したに違いない。猫田自身も、彼の尊敬する先輩を見習い、歩き方から真似たというような話を記憶している。あの時も居並ぶ大男達の間で「普通サイズ」に思える彼が(いや、きっと彼も大きかったのだろうけれど)、ボールの勢いを吸い取るかのように受けてふわりと絶妙のトスを上げるあの柔らかさ、しなやかさには見入ったものだった。 しかしあの頃もきっと、観客はひたすら「日本、日本」と言っていたのだろうけれど、今のように喧しくはなかった気がする。会場全部が声を揃えてチャ・チャ・チャ、などというのもなかった。やっぱり、あの巨大猫じゃらしがいけないのではないか…。 先日の大相撲九州場所では、横綱を尻目に、カド番大関魁皇を応援する魁皇コールがすごかったが、それでも静かになるときにはなるし、素手の拍手だけなら、眉をひそめるほどのことにはならないようだ。相撲協会があれを禁止しているのかどうか知らないが、そうであればなかなかの慧眼である。 というわけで、結局私はけっこうスポーツ中継を見ているということになりそうだ。 鈴木秀美 |
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