パラダイスの経験
2004/08/29

  喧しい蝉の声が止んでこおろぎが鳴くようになり、夏の終わりの気配が 濃くなってきました。ファンの皆様の夏は如何でしたでしょうか。
  去る7月のライプツィヒでの経験はご報告させていただきましたが、こ の夏二度目のヨーロッパ行きはポーランドでした。約1週間修道院に泊まっていたの ですが、その名も"Paradysz(パラディシュと読む)"、パラダイスという意味です。ポ ーランドの西端、ドイツとの国境に近い場所で、町の名前は…忘れてしまいました。 というより、村と村を繋ぐ細い「幹線道路」沿いに建っているその修道院は町とは関 係なく、周りには何もなく、ただただ森と草原のみです。
  数世紀の歴史を持つこの場所で、私が時々指揮や共演をするポズナニの グループ「アルテ・ディ・スォナトーリ(Arte dei suonatori) が中心になって昨年か ら古楽フェスティヴァルが始まりました。全体で2週間にも及ぶ期間に、オーケスト ラはもちろんのこと、室内楽やリサイタル、声楽の入ったプログラムなど様々なコン サートが行われます。今回私はその中で、オープニング・コンサートにすぐ続いてバ ッハの無伴奏チェロ組曲第1,2,5番を弾き、また2日後にはオーケストラと共に C.P.E. バッハのコンチェルトイ長調とイ短調、シンフォニア2曲というプログラム のコンサートをしてきました。

  このグループは、年間を通じていろいろな奏者を招き、その人を中心と したプログラムのコンサートを展開するという活動をしていますが、今回はそれが一 堂に会したようなもので、リコーダーのDan Laurin、カウンター・テノールの Matthew Whiteなど、バッハ・コレギウム・ジャパンなどで日本にもお馴染みの顔ぶれ もいました。しかし、そういったゲスト全てと付き合ってメンバーは室内楽やオーケ ストラ曲を演奏するわけですから、朝から晩までリハーサルが続きます。私が到着し たとき、彼らはすでに何日も前からそこに来て練習していましたが、石造りの立派な 建物はどこもよく響き、さながら音楽学校のようなノイズとなっていました。私のリ ハーサルは早いときでも朝の10:15からでしたが、彼らのうち数人にとって、それは既 に二つ目のセクションだったのです。また夜は18:00からと20:30からという二つのコ ンサートがありますが、同時に21:00からのリハーサルもあったのです。この グループは本当に音楽のために生きている人たちで、頭が下がります。もっとも、い つまでたってもさらうのを止めず食事が遅れたりするので、私は彼らを「日本人より ひどいWorkaholic (仕事中毒)!」とからかっていました。

  バッハの組曲は、ごく小さな会をのぞけば7月にトッパン・ホールで 演奏して以来のコンサートでした。皆様の印象が如何であったかは分かりませんが、 あれは私にとってはとても苦しいコンサートでした。それからいろいろと悩み練習や 調整をして来たわけですが、教会堂の音響の助けも借りて、今回は何とか気持ちよく 弾くことができました。アンコールで4番のサラバンドを弾きましたが拍手が終わら ず、4番のブーレーを弾いたのですが、あんまり速く始めてしまったので自分でも笑 い出しそうになりました。
  C.P.E.バッハのコンチェルトは何年ぶりだったでしょうか。イ短調のコ ンチェルトはこのグループとも一度共演したことがありますが、イ長調はBISの録音を したとき以来ですから8年ぶりで弾いたことになります。コンサートの冒頭はイ短調、 最後はイ長調のコンチェルトで間に変ロ長調とハ長調のシンフォニアを演奏しました。 とにかく忙しい日程の中、どうしても練習不足になりがちですから難しい面もありま したが、皆集中して弾いてくれて熱い演奏ができ、私としてはこんなに気持ちよくさっ ぱりとコンサートを終えられたのは何年ぶりだろう、と思いました。

  自分の準備もあってあまり人のコンサートを聴けなかったのが残念ですが、ヴィヴァル ディの「四季」をダン・ラウリンが編曲、「三季」だけ演奏したのを聴きました。こ れはなかなか面白いものでした。場所によってはあまりにもよく音がなじんで、ヴァイ オリンでなくてもなんら不自然を感じないほどでした。最後の「冬」だけはまだ編曲 が完全にできていなかったらしく、コンサート・マスターのArek Golinskiが弾きまし た。

  さて、修道院の食事は、修道院の人たちも一緒に大きな食堂でします。 唯一炊事関係にはシスターがいます。昼にはなかなか美味しいスープと肉などがでま すが、ピェローギと呼ばれるポーランド風ダンプリング(餃子的包みもの)のときもあ ります。中身はポテト、あるいはそれとチーズを混ぜたものなどです。ここは完全に ノン・アルコールなので、食事のときに彼らはコンポートと呼ぶ飲み物を飲みます。 梨や桃などを、少し砂糖を入れて茹でたのを冷ましたもので、私にとっては中途半端 に甘い水、という感じでしたが、思いの外さっぱりします。朝と夕食はパンのほかチ ーズやハムなどだけであることが多く、コンチェルトを弾くのに腹が減るなぁなどと 思いましたが、何とか持ち堪えられました。普段の過食を思い知らされる気がしまし た。
  二階の端っこの部屋はコンピュータ・ルーム。修道院とはいえ現実から 切り離されているわけではありません。ここに、若い神学生たち、いつも忙しい音楽 家たち、そしてその家族の子供たちなどが集まってきます。ほとんど音楽家の数だけ PCがあるという感じで、ポーランドとしては驚異的に速いスピード(おそらく1〜2 メガ)で繋げました。1〜2年前にはパルスの電話回線でパタパタパタ…というぐら いでしたから、これはすばらしい環境と言わねばならず、しかも24時間繋ぎっぱなし にできるので、さながらBoys' play roomという様相を呈していました。

  修道院のメインゲートを出て2分ほど歩いたところに、テーブルが3つ ほどだけある名ばかりの「バー」があります。ここが唯一「地上的」楽しみの場所で、 コンサートが終わった後は連れだってそこへ行き、満点の星空の下でビールを飲むの です。何時まででも開いているそのバーの主人、しかし土曜日の昼にあったコンサート を聴きに来ていました。私たちのシラフの顔を確かめたかったのでしょうか?教会の 中で出会って会釈され、「あれ、あの人はたしか…??」と思いましたが、その晩バー へ行くとやっぱりそうで、握手され、また最後の晩にはプログラム冊子にサインも 頼まれて、とても嬉しく思いました。日本では、飲み屋の主人とコンサートで出会う ことはまず考えられないのが現状ですから。

  Paradyszから車で約一時間、一番近いRzepinという電車の駅は「ジェピ ン」と読みます。ジェピンからジャパンへの帰り道はベルリン経由です。電車一本 で行けるベルリンでは、昔オランダで教えた弟子のドイツ人に出会うことができまし た。周囲に(バー以外) 何もなく、心地よく湿った樹木の香りが立ちこめ、若干の車の 音と自分たちの出す音以外に何の騒音もない「パラダイス」から東京へ…しかし身も 心もリフレッシュされましたから、この秋からはきっと新鮮に音楽することができる でしょう!

  ではまた、ステージからお目にかかるのを楽しみにしています。

鈴木秀美

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