| BCJスペイン・ツアー便り vol.5 2002/3/25 | ||||||||
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バレンシア公演は、今プロジェクトでヨーロッパ内では最後のマタイである。 このホールは、ラ・プティット・バンドに僕が参加した最後のツァー、2001年の1月に、ハイドンのロンドン・シンフォニーのプログラムで来た場所だ。すぐ外の公園ではオレンジの木に実がなり、棕櫚の木が茂って、噴水にふりそそぐ南国の太陽が眩しい。ホールは、サン・セバスチャン、サラゴサほどに大きくなく、また音響もそれほどではなかったが、よいコンサートだった。バスに飽き飽きしている私たちには、大通りを隔ててホテルが目の前ということがとても嬉しい。コンサート後、レストランを予約していた組に便乗して美味しい海の幸、そして本場のパエリァを満喫した。 翌日は、トレヴィゾへ行く「ヨハネ組」と一足先に帰国する「マタイ組」に分かれる。バレンシアからミラノまでは小さな飛行機で一緒だったが、その中でツァー始めにバルセロナで置引きにあった大富事務局長に皆で財布をプレゼントした。マタイ組はローマ経由で東京へ、ヨハネ組を空港で待っていてくれたのは、この前のツァーで一緒だったマネージャーのシャンタルだった。トレヴィゾまで、また4時間あまりもバスに揺られる。 いろいろケチのつき続きのツァーだが、今度はトレヴィゾのホテル予約が軍隊の演習か何かのために強制的にキャンセルされてしまった。代わりのホテルが用意されたが、皆にバスタブのある部屋はあたらない由。イタリア人、あるいはヨーロッパ人にとってバスタブはそれほど重要ではないが日本人には…。とバスの中で書いているうちにホテルに着いた。まあ大きくはないが一晩、二晩のこと、何も問題はない。こちらにとってはメールが繋げるかどうかが一番の関心事、というのも少々情けない話。明日はヨハネ、コンティヌオにとってはマタイよりずっと集中力も体力も要求される。今日はよく休まなければ。 | ||||||||
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