| 第9回ガット・カフェ『コンティヌオのウラ・おもて』お喋りの内容とアフター・テイスト 2002/2/26 |
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皆さん、こんにちは。 今回からしばらくの間「コンティヌオのウラ・おもて」というタイトルで、通奏低音のいろいろな場合について勉強してみたいと思います。このタイトルを見て、さあいよいよ「ヒミツ」が聞けるゾ、と思われた方もいらっしゃるでしょう。おあいにくさま、どんなに喋ってもなおかつ出てこないものを本当の「企業(?) ヒミツ」といいます。 さて、通奏低音、バッソ・コンティヌオというものは、バロック期の音楽を構築する重要なファンクションです。その上に乗る和声を支え、旋律を支えつつ自由に歌わせ、なおかつテンポを程よく守って音楽の基盤となる機能、何人で弾いても「一つの」機能、それが通奏低音です。歴史的に『通奏低音奏者』というとき、おもに和声を担う鍵盤楽器奏者やリュート奏者などを指しますが、それらと一緒になってベース・ラインの音量と性格を強めるのがチェロやファゴットなどの楽器です。このカフェは店主がチェロ弾きですので、コンティヌオ・グループの中でチェロを弾くという立場で話を進めていきたいと思います。 コンティヌオというのももちろん一種のアンサンブルですが、例えばロマン派以降の室内楽やオーケストラのチェロ・パートなどを弾くのとは異なった要素があります。といいますのは、コンティヌオは複数の非同属楽器で作り上げる「一つの」機能だからで、そこに含まれる各楽器の演奏の巧拙や音の良し悪しなどとは少々違うところに、良し悪しのポイントがあるためです。コンティヌオとしてチェロを弾いているとき、そこにはダウンやアップといった考えはあまりありませんし、全ての音がよく鳴っているかどうかということは第一に重要なことではないのです。 コンティヌオ・グループを構成する相手がどういう楽器であるかによって、心得るべきこと、弾き方や合わせ方も少しずつ違ってくるのは当然のことです。チェンバロと一緒に弾く場合、オルガンとの場合、またテオルボやキタローネといったリュート属など、それぞれ合わせ方は少しずつ違いますし、各楽器の性格・性能も知らなければなりません。チェンバロと一緒だから全ての音が同じように減衰しなければならないとは限りませんし、オルガンとだからといって四角く弾くだけが能でもありません。最終的にはそれらの楽器とうまく溶け合って、チェロのような音がして持続するチェンバロ、音量の増減するオルガン、またその逆に単音でも和声の聞こえるチェロというふうに聞こえて、お互いが有機的に繋がったアンサンブルになることがコンティヌオの一つの目標であり、そこへ上声部という別の軸が加わってくるのです。一体となったコンティヌオは、上声部という「ボール」が飛んできたときに同時に同じ方向へ動いて打ち返すかのように反応しなければならないわけで、一人は右、もう一人は左へと動いていては「機能」しません。ですから、音楽上のイディオムを各奏者がよく知っていることが重要です。 コンティヌオ・チェロ奏者はまた、調律法を知っておかなければなりません。かなりひどい調律であってもなお、和声を伴う鍵盤楽器の音は常に「正解」に聞こえ、私たちは全ての音を「正解付き」で弾かなければならないからです。ステージ上では、温度・湿度・ちょっとした風などに各楽器が違った方向に反応します。温度が上がればオルガンは上がり、チェンバロは下がりますが、湿度が増えればチェンバロが上がります。ガット弦は温度が上がれば下がりますが、風などで急に乾燥すると巻き線が裸ガットより早く上がります。そのようなパズルの中でいつも正しく弾くためには、どの調はどういう特性、この半音、この3度は広いか狭いか、といった知識のガイダンスがないことにはどうにも間に合わないのです。 次に、コンティヌオの支える旋律が何で演奏されるかによって、知るべきことも変わってきます。チェロにとってヴァイオリンは理解しやすい楽器ですが、管楽器であればそれぞれの楽器の特色を知って気を配らなければなりません。18世紀の楽器のうちでは、チェロは「大きな音」の楽器なので、他の楽器に音量的な無理強いをしないよう注意が必要です。管楽器には音によってよく鳴る音とくぐもっている音がありますから、それらを弁えていなければなりません。例えばフルートに下のF♯やG♯を強く吹けと言いたいなら、その人はモダン・フルートとやるべきでしょうし、リコーダーの最低音域にフォルテは存在しないのです。それらはしかし、楽器の制約であると同時に特長でもあるので、コンティヌオ奏者が各楽器の「陰影」を踏みにじってはならないのです。 カンタータなど大編成の合奏の中でのコンティヌオ・チェロの難しさは、全体の合奏の時にはオーケストラのバス、また弦楽器セクションのバスとして機能し、アリアの時にはオブリガート楽器と親密な室内楽を奏で、歌が入れば言葉を聞き取り息遣いを察知し、またレシタティーヴォになればチェンバロやオルガンと連係プレーをしつつ歌につける、という具合に、いわば自分のサイズをころころと変化させなければならないことです。実際に弾く音量も、オーケストラのトゥッティとアリアなどでは驚くほどに違うのです。 さて、カンタータ、オペラ、何に限らずお相手が歌手である場合、これはまた格別特別、特殊異例例外隷属忍従忍耐といった様相を呈する、ことがあります…。彼らには「言葉」という、楽器にはない道具があるのです。喋ることは聴衆の頭の違う部分でも理解される(らしい)ので、その具体性、説得力は楽器と比べることはできません。時代によってそのバランスは異なるものの、音楽とは畢竟、言葉で語りたい内容を具体化し、色付けし、意味深くすることともいえるのです。ですから、歌手の語っているのが何語なのか、どういう内容なのかといったことをある程度以上知っていなければ、歌のコンティヌオを弾くことはできません。逆にいえば、そこで何が語られ、何が表現されなければならないかということをコンティヌオ奏者は知っており、歌手が何を言っているのか聞き取れず、何の音なのか、どの和声なのか解っていないときなどには、リードしてよい表現へと導かなければなりません。いかに彼らが何倍ものギャラを取っていようとも! 18世紀の音楽は基本的にコンティヌオを土台として作られていますが、それだけではなく、その音楽がどうあるべきかということを把握し、表現全体に積極的に関与しているという「通奏低音」のあり方が、19世紀以降の音楽における「低音」の演奏との違いと言えるでしょうか。これは演奏の態度やレベルを言っているのではないので、パーソナルに取られないようにお願いいたします。 さて、経済的人材的日程的その他の都合により、今回はチェンバロとチェロでソプラノ一人のコンティヌオを受け持つ、という場面を設定しました。アマチュアの方も含め、チェロでバロック音楽をやるというとき、歌手に付ける場面はよくありますが、それについて細かく勉強する機会はなかなかないと思われるからです。とりわけ、レシタティーヴォを弾くという仕事は一種「アンタッチャブル」なもののようにも思われ、忌み嫌われるか恐れられるかのどちらかのようです。そのような状況を打破し、レシタティーヴオにも慣れていただくために、今回はまず、英語の歌に付ける身近な例として、ヘンデルの「メサイア」からソプラノが最初に登場する場面を、次いでドイツ語の場合としてA.M.バッハの音楽帖から、カンタータ第82番と同じ内容のレシタティーヴォとアリア、それからイタリア語の場合としてヘンデルのカンタータ「ルクレツィア」を取り上げました。いわば「初級」「中級」「上級」といった感じです。 歌との場合にまずはっきりしておかなければならないのは、言葉のどこで音を出せば合わせたことになるのかということです。 「50音表」というものが頭のどこかにある(携帯電話が普及して余計に強まった感がある!)日本人には、母音と子音を区別して理解し発音することがなかなかできません。「あ」と「か」は同列のものと考えてしまうからです。ところがヨーロッパの言語は、a,e,i,o,uならびに中間的な響きの母音と多くの子音との組み合わせによってできているのです。音楽がついていてもそれは同じで、和音は彼らの子音ではなく、それに伴う「響き」の部分、つまり母音に与えられるのが大原則です。その人の声、つまり「響き」は「母音」のことなのです。 例えば今回の「Schlummert ein」のアリアで、歌手が「Schl」と言っている間はまだ音を出してはいけないのです。和音は「u」の母音に与えられます。言い方を変えれば、歌手は子音を正しく拍の前に出さなければならないのです。彼らがどんなにはっきり発音しても、子音と一緒にコンティヌオ(あるいはオーケストラ)が弾いていると、聞こえる言葉も聞こえなくなります。レシタティーヴォでは特に、彼らの子音を聞いてから弾けばよいので、よい手がかりになります。もちろん、それぞれの語感にあわせるとか、その文章の意味に合わせて表情を作るといったことも重要です。ですから、レシタティーヴォを弾くときは、歌手のパートの音符はあまり見ず、言葉を目で追っていかなければなりません。言葉の抑揚の近似値として書かれている音符のリズムが言葉の表現によって少々変わることは当然で、だからといって間違いではありませんし、それを理由にこちらがタイミングを逃してはならないからです。もちろん、全部読めているのが理想ではあります。 さて、これは音楽全般に関係したことですが、特にレシタティーヴォでは、音や和音の緊張と弛緩という自然の法則が大変重要です。基本的に不協和音は強く、その解決である協和音は弱くあるべきで、その関係は断ち切られてはなりません。バスの持続音が同じでも、その上に与えられるのが協和音か不協和音かによって音の持つテンションが変化しますから、長い音を途中で硬くしたり柔らかくしたり出来なければなりません。 またレシタティーヴォの中では、不協和音ばかりが続いたり、ずっと後になって協和音が与えられたりしますが、前の音の記憶がどう続いているかということを知って次の音を与えることが大切なのです。もう一つとても重要なことは、「強弱」と「大小」とは別の軸であるということです。言葉の中で強い意味の言葉を小さく歌うこともできれば、弱い言葉を大きく言うこともできるからです。 さて、このようなお話をした後、今回は大盛況の9人にご参加いただき、いろいろと試していただきました。 少しはこういう仕事に慣れていた方、全く初めての方などいろいろでしたが、どの人にとっても一番問題だと私が感じたのは、一つの音を弾き終わったところで体もアタマもストップしている時間があるということです。ダウンを「弾き終わった」とき、手はどこにあるか?手元でなければなりません。一弓を弾いて弓先で運動が止まっていることは、そもそも弦楽器の演奏にあまりないのですし、コンティヌオの場合は「致命的」です。回りの声部がいつどう動いても直ちに対処できること、これがコンティヌオのポイントです。 どうぞみなさん、無駄には1ミリたりとも動かず、しかし音楽(言葉)と一緒には自由に動いて、一緒に弾くシラブルを的確に捉えるゲームを楽しんでください。「もぐらたたき」ほどには疲れず、ゲームセンターほどにはお金も使いませんし、上手くいけばそれらとは比較にならない大きな歓びを得られます。 さて、次回5月26日はヴァイオリンの荒木優子さんに登場をお願いして、弦楽器のコンティヌオの「ウラ・おもて」を探ってみたいと思います。どうぞご期待ください。ご清聴(ご精読)、有難うございました。 カフェ店主 |
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